オーダースーツへの憧れ その6
2008年06月21日
大学の入学式には
ちゃんとしたスーツを着て行った記憶があります。
どんな色のスーツかは忘れてしまいましたが、
多分初めて作ったスーツだったと思います。
大学に入るとやはり背伸びしたい年頃でもあるので、
その頃が人生で一番目立ちたいと思って
目立つことを色々やってた時期のような気がします。
別に将来のビジョンも無かったのだが、
そうでないと何かに埋もれてしまいそうで怖かった。
大学に入ったのも軽音楽部に入りたいからであって、
やはり他にも軽音楽部かフォークソング部に入りたいので
わざわざ地方からこの大学に来た人も居た。
だから何か目立たないと箸にも棒にも掛からない気がしたし、
軽音に入る人間って皆なれることなら
ミュージシャンになりたいに違いない人ばかりなんだけど、
僕がやりたいと思うジャンルの音楽をやってる人が全然居なかった。
フォーク系やハードロックやヘビメタが主流で、
プロバンドのサポートメンバーで滅茶苦茶テクニックの巧い人も多かったし、
他の大学と比較にならない位にレベルも高かった。
そんな憧れの軽音だけど理想を求め過ぎたからだろう。
わずか半年足らずで辞めてしまった。
あとウザイ先輩に鬼殺しっていう焼酎を
朝から飲まされたりで辛かったのも少しある。
その当時の軽音の同級生にグレープバインの西川がいる。
西川君はバイトもあまりしないで、
家に引きこもってギターばっかり弾いてた記憶がある。(笑)
今振り返ると大学である意味軽く変人扱いされてる人の方が、
特技が仕事に結び付いているような感じもちょっとするね。
軽音を辞めてからは、夜中にディスコではない、
新しいムーブメントだったクラブに顔を出すようになった。
所謂当時風だとナイトクラビングってやつです。
88年から90年前後のその当時の大阪は
ダイナマイト、M2、パラノイア、X‐RAY、ゲネシスなど
色んな個性的なクラブがありなかなか来てる客層も面白かった。
そんな店に目新しいモノ好きな友人に連れられたり、
誰かを誘ったりしながら、顔見知りが増えてからは独りでも通いつめた。
ちょうどミーツリージョナルという雑誌が創刊されて、
クラブのスケジュールやイベントの内容が詳細に書かれていたので、
ミーツを発売日によくチェックしていた。
その頃からダンスミュージックの1ジャンルである
ハウスにハマりだしてアナログレコードを沢山買うようになった。
自分もいつかそんな曲を作ってみたいと思っていて、
そしてキーボードマガジンを見ながら機材を買い始めた。
TR808というドラムマシンは高かったので、
アカイのサンプラーS950やYAMAHAのDX‐7、
大学後半にはオールインワンの優れ物EOSも買った。
高校時代に買った3万位のコルグのドラムマシン、
RolandJX‐3Pなども有名な海外のミュージシャンが使っていたので
引っ張り出してきて使った記憶がある。
その頃、上に挙げたクラブの中で
唯一そんなハウスの曲を作り始めた人や、
作りたい者達が集う店があった。
阿木譲さんという廃刊になったロックマガジンという
音楽誌の元編集長であった人が営むM2というクラブだ。
続く
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